ベテラン塾講師ニシオカの日記

塾のみならず、プライベートなことも記しています。

オーストラリアの何が好きだったのか

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渡米ならぬ、渡豪歴11回のわたし。

わたしのテニスコーチが信じてくれなかった。

「本当に11回も行ったんですか?嘘でしょ?」

 

今振り返れば、アメリカやイギリス、ニュージーランドなどに行ってみればよかった。

結局、1度も行けずにいる。

コロナが明けるまでは行けるはずもない。

 

「どの国が好き?」なんて聞かれたら、今でもオーストラリアと答えるだろう。

でも、何がそんなに良かったのか、今回はそれを記してみようと思う。

 

まず、オーストラリア英語が面白いこと。

特有のなまりやスラング(方言のようなもの)が笑える。

一番受けたのは、Hey?(ハイ?)だ。

これは正式英語で言うと、Pardon?となる。

金髪の人が日本語しゃべったみたいになっていてとても笑えた。

北東部の地域限定みたいだと現地の人が教えてくれたが、今はどうだろうな。

あとは、Tah(ター)、これはThank you.の意味。

tucker(タカ)、これは食べ物という意味。

懐かしいなあ。

 

次は、興味があった熱帯の気候を体験できたこと。

元々夏が好きだったので、半端ない暑さがどんなものなのか気になっていた。

案の定、朝から30度超え、でも乾季はカラッっとしていた。

雨は土砂降りの時が多く、雨季は道路が冠水していた。

薄着が当たり前、幼い子供は素っ裸、シャワーは水オンリー、たいていの家庭の庭にはプールがついていた。

今はもう暑いのはいいかな。

当時は若かったということなのだろう。

 

3つ目は、海がきれいだったこと。

有名なゴールドコーストのビーチが特に思い出深い。

よくビーチを歩いて自然を満喫したものだ。

38歳のときには、近郊のエリービーチでスカイダイビングをやってみた。

人生に1度あるかないかの体験ができて良かった。

記念のDVDつきで400ドル(当時のレートで35000円くらい)と高価な買い物だった。

今でも、上空でセスナの外のステップ台に足をのせたときのことを覚えている。

ダイブ中にビーチをもっと目にしておけばよかったかな。

正直、怖さが優ってしまい心に余裕がなかった。

 

4つ目は、開放的な動物園と、ならではの動物たち。

コアラを抱っこして係のお姉さんと写真撮影をしてもらったことが印象的。

本当はお姉さん抜きだったが、思い切って一緒に写ってほしいと懇願した。

すると、周りにいた大勢の人たちが耳をすませていて、大笑いされてしまった。

今でもその写真を見ると、当時の様子が蘇る。

 

5つ目は、おしゃれなカフェで言語交換。

デボラさんというオーストラリア人と言語交換をしていた。

今も覚えているのは、sandwichの発音を何度もやらされたこと。

あと、「ガタった」という変な日本語にデボラさんが興味を示していたこと。

軽食をとりながら気楽に言語を学ぶなんて楽しさ、初めて知った。

もっと会話をしておけばよかったかなと思う。

 

他にもあるが、今回はこのあたりにしておこう。

コロナが明ければ、また行きたいな。