ベテラン塾講師ニシオカの日記

塾のみならず、プライベートなことも記しています。

質があってこそ量が生きる

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質と量、どちらが大切なのかが議論になることがあります。

どちらも大切です。

しかし、学校教育においては、量が重んじられているようです。

 

生徒から学校のテキストを見せてもらうと、ほとんどの場合、完成度は高くなさそうです。今まで100人以上は確認してきて、体感的に8割以上は質に問題有りですね。

 

例えば、数学で全ページ〇だけ、考えた形跡が全く残っていない、字が荒っぽい、答えが間違っているのに〇がついている、〇つけしていない問題がある、など。

要は、とりあえず埋めて提出すればそれで終わり状態。

何とも嘆かわしい!

「もっときちんとやれよ!」「もっときちんと教えてやれよ!」っていつも思っています。まあ、少数の生徒はできているとは思いますが。

 

問題の取り組み方が悪ければ、学力が向上するわけがありません。

それに気づかず、やたらと問題集を購入して、また同じやり方を繰り返す。

学力向上以前に、労力・時間・お金の無駄以外何ものでもありません。

 

では、どう取り組むべきなのか?

 

まず、自力で解ける問題を優先させて解く。

これならすらすら解けます。

次に、解けなかった問題について、調べて解けるならそうする。

このときは、字の色を変える。(赤色や青色など)

また、解答を参照して学んでもよい。

答えを写すのではないので。

こんなふうに取り組むと、教材が生きてきます。

それを目にしている生徒も育つというわけです。

質に問題がある生徒は、今からやってみましょう。

 

質改善のためにやり方を変えると、勉強に対する考え方も変わるでしょう。

そうなれば、量をこなせばこなすほど学力は向上するでしょう。

解いている本人が楽しいと思えるからですね。

 

最後に、問題の選定について、これも重要です。

問題の難易度が自分のレベルとかけ離れている問題はスルーしましょう。

優先度が低く、いろいろと無駄になりますから。

 

例えば、計算問題が得意な生徒は、計算問題はスルーでいい。

成績下位の生徒は、応用問題はスルーでいい。

その分の時間を、他の内容に費やすのです。

前者なら、文章題や図形に集中!

後者なら基本問題に集中!

このようにすれば、成績を少し上げるくらいなら容易だと思いませんか?

 

戦略次第で結果が変わる。

教えない指導法について

塾は、分からないところを分かる状態にする場所です。

分かる状態にするための手段は、生徒が質問して先生が返答する。

これが普通ですね。

 

しかし、生徒が質問をしても先生が教えない塾があるようです。

この場合、生徒はどのようにして疑問を解消するのでしょうか?

自分で調べて解答するのでしょうか?

あるいは、生徒同士で教え合いをするのでしょうか?

 

私の場合は、最終的に生徒が答えられないと判断すれば、私が教えます。

これは極当たり前のことです。

自分で調べても、友達に聞いても、何をやっても解決しません。

こんなふうに主張しても教えてもらえないなんて、どんな考えがあるのでしょうか?

 

私の推測ですが、まず、指導者がただ怠慢なのではないでしょうか?

20年くらい前に、私が短期間勤めていた塾でそんな先生がいました。

授業時間のほとんどを問題演習させ、その間その先生は外でたばこを吸っていました。

答え合わせは10分程度で済ませ、質問対応の時間もあまりとっていませんでした。

当時の私よりもずいぶん年上の先生だったので、私は何も言えませんでした。

この人は反面教師。

私はこの怠慢人とは真逆の先生になろうと強く誓いました。

 

考えたくないことですが、こんなタイプの舐めた塾講師が予想以上に生息しているかもしれません。他塾から当校に移ってきた生徒たちからまあまあ耳にしますから。

 

悪い事例はあるものの、教えない指導法について、私は全否定はしていません。

生徒のメリットになることがあるからです。

 

調べて理解する手段を知らない生徒はいます。

このタイプの生徒は先生に聞くことしか知りません。

この生徒は明らかに損をしています。

 

例えば、学校や塾が休みの日、家庭学習中に分からないことに遭遇します。

思考が誰かに聞くこと100%なので、「明日先生に聞こう」とか「親に聞こう」などの発想になります。

親に聞いても解決できなければ、翌日以降に持ち越しとなります。

しかし、調べ方を知っていれば、疑問を解消する時間を早めることができます

 

先日、ある生徒がこんな質問をしました。

先生、おうぎ形の面積ってどう求めるんですか?

それは〇〇」って即答せずに、ネット検索の方法を教えました。

パソコンのところへ行き、まずは、生徒に泳がせました。

生徒は自分が思う検索語を入力しました。

しかし、上手く情報を入手できませんでした。

そこで、私が適切な検索語を教えました。

今度はすぐに情報を掴めました。

ここで大切なのは、1度失敗させることです。

これにより比較の体験ができるというわけなのです。

そうか、もっと具体的に入力しないといけないのか。」などと考えてほしいのです。

 

今の時代は、ネット検索すればたいていのことは解決します。

検索しても完全な理解に至らないとき、私の出番がやってくるのです。

教えない指導法は、生徒の利益を考慮した上で取り入れるのは有りだと思います。

直接対応で話す力を鍛えよう

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国語力が高い生徒は少ないですね。

無理もありません。

高めようとしていないからです。

 

なぜ高めないのか?

それは、そこまで重要だとは認識できていないからだと思います。

また、周りの人たちが高めないから自分もそうしないのかもしれません。

「赤信号、みんなで渡れば、怖くない。」

国語力、みんなが低いと、焦らない。

 

国語力=学科の国語というわけではありません。

ここでは、マクロスキル(話す・聞く・読む・書く)の高さを意味します。

これら4つのスキルは学科の内容にも深く関わっています

 

話す力が低ければ、相手に自分の意思を理解してもらいにくくなります。

例えば、塾で質問しても先生に伝わりにくいとか。

 

聞く力が低ければ、正しい情報を受け止めにくくなります。

例えば、塾で説明を受けても、誤った理解をしてしまうとか。

 

読む力が低ければ、学科によらず問題文が理解困難になるでしょう。

※数学や理科でも問題文が長く複雑なものがあります。

 

書く力が低ければ、作文や小論文などは手をつけられないでしょう。

また、大人になって報告書を作成するとき、ストレスに感じてしまうでしょう。

 

以上のようなことを踏まえれば、マクロスキルの意味での国語力は鍛えるべきです。

 

前置きが長くなりましたが、当校の授業(直接対応の時間)では、生徒には発言する機会をたくさん与えています。

当校に慣れた生徒は、質問・確認をするのが日常茶飯事です。

例えば、数学の問題で正答の理由を示すべき場面で、生徒が発言をしようと思っているなら、私は黙って生徒の発言に耳を傾けています。

生徒の発言が行き詰まったり、内容が誤っていたりしたとき、私が発言します。

もし私がすべて言ってしまえば、生徒の話す機会を奪うことになります。

こんなとき、私は生徒の成長を妨げる存在になってはいけないと思い、可能な限り発言を我慢しています。

 

話すことが苦手な生徒は多いので、まずは次の2つのことをやってみましょう。

1 1文を短くすること。

2 結論を先に言うこと。

 

例えば、数学の正答の理由について言うとき、

「この問題の正答の理由は、〇〇なので、△△なので、□□が答えになります。」

・・・長い!そして言っていることがよく分かりません。話している本人もよく分かっていないのではないでしょうか。

次回からは、こんなふうに簡潔に言ってみましょう。

理由は2つあります。1つは〇〇で、もう1つは△△です。

これなら簡単でしょ?簡潔にまとめるのも国語力の1つなんですよ。

 

最後に、マンツーマン形式の授業パフォーマンスを最大限に上げる方法の1つは、英語や数学などの学科の内容をしつつ、質問や確認などの発言を盛んに行うことです。

塾でおとなしく問題を解いたり先生の説明を聞いたりするだけの授業では何か物足らないと思いませんか?

褒めるだけの塾

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べた褒めする自動車学校があるそうですね。

流行っているとのことです。

今の時代は受けるでしょうね。

私の頃とは大違い・・・。

 

では、塾の場合はどうでしょうか?

褒めるだけの塾があると生徒から聞いたことがあります。

生徒だけでなく、親御さんにもいい事ばかり話すそうです。

逆に耳の痛いことは失礼にあたると考え言わないそうです。

 

失礼にあたる??

なぜでしょうか??

 

私が勤勉な学生なら、耳の痛いことも知りたいですね。

自分が改善すべき点を知れば、上達への道を進めるからです。

実際に上達して過去を振り返ったとき、こう思うはずです。

「あのとき改善法を知れて良かった」と。

 

当校の生徒たちには、本気で学ぶことを教えています。

そのため、彼らは耳の痛いことを受け止めようと努めています。

その努力が積み重なるにつれ、改善されることが増えます。

そのときに私は褒めることが多いですね。

 

今までできなかったりことができるようになったとき、人は褒められたいものです。

「前は適当に問題解いていたのに、最近は違うね!」

「数か月前は凡ミスが山のようにあったのに、今ではそれがうそのようだね!」

「去年は先生任せだったのに、今年は自分でも考えられるようになったね!」

こんなふうに褒めると、生徒たち自身は努めてきたことに肯定感を持てると思います。

 

褒めるだけの塾、、、成績度外視ならわたしにもできるかもしれません。

しかし、成績向上という絶対条件の下では、わたしにはできません。

伸ばすためには、改善点を教えることから始まります。

やはり、本気から始まるということです。

そして、生徒自身が本気で己と闘った先に褒めるという行為があるのだと思います。

 

「生徒たちよ、褒められたいなら本気で成し遂げよ!」

同時にこうも言いたいです。

「生徒たちよ、近い将来自分自身を褒められるように本気で取り組めよ!」

いよいよ高校入試2022

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特別な日だなんて思わないこと!

真新しいものではなく、テストだから。

今まで学校や塾で受けてきたテストと同類でしょ。

 

英語は対話4択、並べかえ、長文系3連発。

数学は小問集合10問に関数や図形。

理科も小問から始まり、電流・化学変化・天気辺りがよく出る。

社会は地理、歴史、公民、融合と続く。

国語は現代文2題に古文か漢文、最後に課題作文。

今までやってきたものばかりでしょ?

 

もし、「こんなの見たことない」問題が出されたらこうすればいいだけ。

と・ば・す。

そして、絶対に点数化させたい問題を見直そう。

凡ミス回避できるかもよ。

そして、暇になったらとばした問題をゆっくりとやってみたら。

このくらい余裕を持って取り組んだ方が正答しやすいと私は思います。

 

緊張している受験生へ、緊張しない方法があります。

てのひらに大の字を描いて舐める、、、なんて言いませんよ、私は。

受験を遠足のようなものだと考えればいいのです。

かつて当校の6期生のAさんはこれで上手くいったと話していました。

 

Aさんは試験の合い間に人間観察を楽しんだそうです。

試験官に小藪に似た人がいたと楽し気に話してくれました。

吉本の小藪です。

試験当日にそんなのふざけてると思う人は多いかもしれません。

しかし、Aさんは競争率5倍に打ち勝ったのですよ。

どう思いますか、皆さん。

 

元々できたんでしょ?ってツッコミを入れられそうですね。

確か、Aさんは中の上くらいでした。

競争率5倍ともなれば、トップ層でもダメな場合があるんですよ。

今とは違った入試制度だったので、大学入試のイメージを持ってもらえれば。

 

成績よりも性格が合格を引き寄せたのかもしれません。

あまり周りを気にしないタイプ。

だから緊張感も周りから感じられなかったのかもしれません。

得な性格ですね。

また、分かるまでとことん理解に努めるタイプ。

今も鮮明に覚えていますが、水蒸気量の問題を何度も何度も聞いてきました。

その魂もまた合格を引き寄せたのかもしれません。

 

それ以来、私は生徒たちに完璧に分かるまでやりましょうと教えてきました。

Aさんに続く生徒をつくるべきだと思ったからです。

完璧を目指すのは疲れますが、得られるものは大きいですよ。

また分からなくなるリスクは減るわけですから。

 

「なるほど!そういうことか!やっとわかったぞ!」

と思えるまで調べたり聞いたりして100%理解を習慣にしましょう。

 

今回の記事では、最初のテーマから話が外れましたが、これもまた面白いですよね。

生徒の弱点は誰が見つける?

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生徒の弱点は、先生が見つけるものです。

そして、先生が生徒に伝えるものです。

 

CMでこんなフレーズが耳に入ってきました。

「その塾、あ〇まプ〇ス入ってますか?」

その質問への私の返答は当然、「いいえ、入ってません。」

 

逆にそのアプリ?が入っている塾の先生は何をしているのでしょうか?

私が親なら、先生は子どものことをよく見てくれていないんじゃないかと思います。

先生は生徒のことをきちんと見ることが仕事なのではないでしょうか?

 

ここで私は生徒の弱点をどのくらい知っているのかを書き出してみます。

まず、中1のR君について、

1 英語のスペルを覚えること。

2 英文を暗唱すること。

3 文章を読んで方程式を立てるまで。

4 言葉を言い換えて表現すること。

5 社会の暗記すべき内容 など

 

次に小5のT君について、

1 文章問題の中でも物語系。

2 要約して表現すること。

3 割り算の筆算

4 平常心をもって解くこと。 など

 

少し考えて書き出しましたが、私は生徒の弱点を知った状態で授業をしています。

これをしなければ、良質の授業はできないので私にとっては当たり前です。

 

AIが生徒の弱点を診断することは、近代的で素晴らしいと思います。

ただ、人ができる領域、特に塾講師は己の能力を使ってなんぼだと思います。

そのため、そのアプリ?を開発した業者さんには悪いですが、私は否定的です。

 

どんな素晴らしいアプリ?ができて、他の塾がそれを導入したとしても、当校は私が観察力全開で生徒たちの弱点を見つけるつもりです。

ステイホーム、親子で懐メロ鑑賞

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ユーチューブミュージックプレミアムを知っていますか?

半年くらい前から私はこのサービスを受けています。

月額980円で聞き放題です。

無料プランもありますが、私は有料の方を選びました。

聞きたい曲数が全然違いますから。

 

昔はツタヤで1タイトル数百円出してレンタル&ダビングしていましたね。

今や安価かつ好きなだけ聞けるなんて、素晴らしい時代だとつくづく感じます。

それに、世代が違うために聞いたことのない曲とも巡り合えます。

例えば、高田みづえの「私はピアノ」。

調べたところ1980年リリースの歌謡曲桑田佳祐の作詞・作曲でした。

おススメに表示され、自動再生の延長で流れてきたのです。

昭和の古き良きを感じる名曲だと思いました。

 

この曲が発売された1980年、私は7歳、母は31歳、亡き祖母は50歳でした。

ふと思ったのですが、懐メロって3世代で楽しめるんです!

 

そう言えば、ニュースで見たんですけど、懐メロは今の若者に受け入れられているそうですね。それに、スマホ視聴が一番気軽で便利なのに、わざわざレコード盤やカセットテープを購入する若者がいるのを知って驚きましたよ。

 

懐メロが世代を超えて愛され続けるのは喜ばしいことです。

3世代でなくとも親子で充分楽しめますね。

30~50代のお母さん、お父さんは学生時代のお気に入りをお子さんたちに教えてあげるのはどうでしょう?

私なら渡辺美里杉山清貴ZARD槇原敬之などのヒット曲に加えて、その曲が何を思い出すのかを語りたいですね~(笑)

 

家族のコミュニケーションの1つの手段として、音楽鑑賞を私はお勧めします。

また、近所迷惑にならない範囲で歌うのもストレス発散になりそうです。

 

適度に息抜きをすると、勉強のパフォーマンスが上がると私は信じています。

コロナ禍でストレスを溜めて自分をダメにすることのないようにと願います。