成績良くても学力は??
画像中の2人の生徒のテスト結果はほぼ同じですね。
テストの成績差はあまり無いですが、学力はどうでしょうか?同じでしょうか?
私なら、そのテストだけでは判断できないと答えます。
学力とは字の意味が持つとおり、学ぶ力のことです。
一般に、学力が高ければ高いほど成績は良いです。
しかし、学力が高いとは言えないのに成績が良い場合があります。
よくあるのが、試験が終われば内容をほとんど忘れてしまうことです。
その原因の1つは学力にあると私は思います。
学ぶ力が乏しかったから、忘却性が優ってしまうのです。
逆に、学力が高ければ、忘却性は劣るはずです。
では、学力が高いとは何かについて具体的に考えてみましょう。
例えば、数学の文章題において、解答から解き方を1つ1つ理解しようと努めます。
理解が少しでも不十分であれば、完璧に理解することを優先させます。
教科書を参照したり、先生に質問したりして、疑問が明確に解消されるよう動きます。
後日、自力で解けるかどうかを試します。
そのとき解けたら、その課題をものにしたと判断します。
このような過程を経ると、記憶に残りやすいですね。
まず、1つの問題に焦点が当たることでそれが特別視し始めます。
そして、その問題について質問やその対応があると、特別なものになってきます。
その後、自分で試すときにも目にするわけですから、記憶に残りやすいのです。
つまり、学力が高ければ、忘却など容易に起こらないというわけです。
当校の方針の1つは、質を重んじることです。
質なくして量は無しです。
人の性質である忘却に打ち勝たなくてはなりません。
どうすればそれを回避し、ずっと覚えていられるようになるのか。
このことを当校の授業を通して、私は生徒たちに教えるべきだと思います。
最後に、今の成績はいいがこの先は不安という生徒へ。
その不安は、自分の学力があるかどうかが分からないことからきていると思います。
不安はプラスには働きませんね。
どうすれば忘れないようになるのかを意識して勉学に励みましょう。
改革こそがプラスに働きますね。
頭が良い悪いではなく、学力を磨くが磨かないかで成績は左右されます。
「自分はできないから」「自分には難しい」なんてあきらめずに、まずはできることから徐々に進めていきましょう。
結果を急がず、継続を保ちましょう。
そんな生徒を当校は全力で応援します。
受動型の1位 vs 能動型の5位
ある家庭Pの方針では、マンガやテレビゲームなどの娯楽を一切与えず、親が子どもに勉強をさせ続けます。このタイプの子どもは従順で、親の指示通りに動きます。
家庭Pの生徒は受動型である場合が多いです。
ある家庭Aの方針では、娯楽も勉強も子どもの意思で決めさせています。このタイプの子どもは自主的に動く場合が多く、親は子どものサポートをします。
家庭Aの生徒は能動型である場合が多いです。
ここで実例(生徒Yと生徒R)を挙げます。
生徒Yの成績は学年トップです。幼い頃から親に塾に行かされ、家でも勉強するよう求められ続けました。成績が少しでも落ちたら、こづかいやスマホを取り上げられたりしました。勉強以外でもたいていのことは親に決められます。
一方、生徒Rの成績は学年5位です。幼い頃からスポーツが好き、活発で負けず嫌いに育ちました。家では成績が悪ければ親が叱ったり子どもの特権を何か奪ったりしますが、それ以上のことは本人が決めます。
どちらの生徒も実際に当校にいました。
受動型のY、能動型のRはその頃の成績ではYの方が優っていました。
しかし、授業の受け方はいくつかの点でRの方が優っていました。
例えば、Rはこんなふうに発言をします。
「先生、それって〇〇ってことですよねえ?」
「え~??どうしてこれってダメなんですか~?」
「もっと早くするやり方があったらなあ~」など。
表情や声の調子が自然なのです。
そして元気で明るく、よく笑ったりします。
一方、受動型のYは自ら発言を控えます。
何か質問があるかを問われたときに、真剣な様子で簡潔に済ませます。
礼儀の面では素晴らしいのですが、そこには緊張感が漂います。
一般的にこのタイプの生徒は好かれるでしょうね。
しかし、脳科学の分野では、何かを学ぶ上で緊張感は妨げになるとされています。
逆に自然体であれば、学びが効率よく進むとのことです。
私はこのことを知っているので、単にいい生徒だとみなせないのです。
受動型の1位、、、1位は素晴らしいですが、本人はどう思っているのでしょうか?
嬉しいのでしょうか?
それとも、何とも思っていないのでしょうか?
もし私がその立場なら、嬉しい反面虚しくも感じるかもしれません。
なぜなら、自分の力で首位をとれているとは言えないので。
能動型の5位、、、本人は生き生きしている感じがします。
上のランクを目指すために、楽しく勉強してそうです。
3位をとれたらスマホ買ってもらえるとか、1位とれたら旅行に連れていってもらえるとか親と交渉したりしているかもしれません。
そういった楽しさのためにも、ワクワクした気持ちを抱えながら勉強に励む、、、そういえばそんな生徒が何人かいたことを思い出しました。
受動型1位と能動型5位の勝負について、個人的には広い意味で能動型5位が優っていると思いますし、塾生として育てたいとも思います。
受動型1位を悪いとは思っていませんが、将来が心配な部分はあります。
自ら動ける人になっているのかどうかという点で。
受動型は能動型を目指しましょう。
そうすれば広い意味でも首位になれるかもしれませんね。
飼い猫のマーちゃん
愛猫家(あいびょうか)になって早3年が経ちます。
以前は「少し好きかな?」程度でした。
外見はかわいいが、愛想がない生き物と思っていました。
しかし今では、飼い猫(マー)は愛らしい家族となっています。
今回は塾の内容から離れて、猫ネタ(マーネタ)でいろいろ記そうと思います。
まず、マーはいくつか言葉が分かるようなのです。
「おいで」と言えば、たいていついてきます。
「あかん!」と言えば、それをしなくなります。
「おはよう」と言えば、「ニャー」と挨拶を交わしてくれます。
一般に人間の2歳の知能があると言われていますが、それを実感できます。
次に、瞳の大きさ、尾の振り方、耳の傾け方、泣き方で大体の感情を読み取れます。
これは猫全般に言えることですが、猫を飼い始める前まではあまり知りませんでした。
飼い始めた頃、猫と上手くやっていきたいと思い、独学で猫学を学びました。(笑)
まあ、セミナーなどはないでしょうから、飼い主は皆独学なんですがね。(笑)
暗くなると瞳が大きくなりますが、さらに大きくなるときがあるんですよ。
暗い部屋で遊んでやると、興奮しているためなのか黒目率ほぼマックスになるのです!最初は驚きでした。
また、機嫌がいいときはしっぽを縦にピンッと張っていますし、怒っているときは左右に大きく揺らせたり、耳を後方に傾けたりします。
このような外見上の動きがヒントとなり、私は引っ搔かれたり噛まれたりしなくなりました。まさに猫学が役立ったと言えます。
3つ目は、いくつになっても遊ぶし、甘えん坊だということです。
子猫の頃しか遊ばないのかと思っていましたが、ウチの猫は違いました。
毎日遊んでくれとせがまれます。
ねこじゃらし以外にも釣り竿のおもちゃがあり、それを気に入っています。(動画有)
小さな物(クリップや糸など)を先に取り付け、それを隠したり動かせたりすると必死で取ろうと追いかけてきます。
猫の本気さは凄まじいですよ!本棚の角で腹を打っても、取ろうと努めるのですから。
また、マーの性格なんでしょうが、とにかく甘えたチャンです。
女の子の黒猫は甘えん坊という情報は当たっていました。
冬場は私の寝床に来て、布団の中に入り、私の腕枕で寝るんですよ。
しかも、爪をしまった状態で腕を折りたたんで私の腕に乗せるんです。
だいぶん互いの顔面が接近していますが、爪や歯でやられたりしないのが驚きです。
ただ、私が目を閉じている時にあくびをされて魚臭いのがちょっと・・・。
基本的に、体臭は無く体毛はきれいですから、躊躇なく布団に入れてやれます。
最後に、今まで撮った動画を貼っておきます。
向きが縦になってしまいました。(少しダサい)
また、限定公開のため、検索には表示されません。
1つ目、「もう行くの。行くったら行くの。」って感じでしょうか。
2つ目、しんどそうでしたが、声を聞いて安心しました。
3つ目、私も本気で遊んでやっています。
旅行中は勉強しなくていい
テレビのニュースでは、今年のGWは大いに盛り上がっているようですね。
政府が自粛を求めなかったことがあるのでしょう。
連休を利用して旅行に出かける家族もいるでしょう。
この機会に大いに楽しんでほしいと思います。
こんなふうに塾講師の私が言えば、一部の生徒はこう返したりします。
「え?いいんですか?」あるいは、「勉強もしますよ!」
生徒によりますが、受験生や試験前を除けば、いつもの勉強はゼロで構いません。
むしろ、旅行中に中途半端な勉強にならないかが心配です。
また、大切な勉強道具や教材を現地に忘れてしまうかもしれませんし。
勉強のことが気になるなら、旅行の前後に多めにすればいいです。
3日間の旅行なら、その分を前後3日に振り分けるのです。
例えば、5月3日から5日までが旅行だとします。
4月30日から5月2日、6日~8日までは普段の1.5倍すれば平均化されます。
この考え方は、将来の仕事面でも生かせるでしょう。
旅行中はいつものの勉強をしない代わりに、別の勉強ができます。
例えば、観光地で自分が何を目にして、それをどう思うのかを考えることです。
そして、そのことを土産話として誰かに話すようにするのです。
こうすれば、思考力や表現力をいつもとは違う形で養えます。
私が子供の頃、熱海方面に家族で訪れたことがありました。
30年以上前のことですが今でも覚えていることがあります。
観光バスで周遊中、困ったことになったのです。
バスの予定だと、自分たちの目的の電車に間に合わないことに気づいたのです。
そのとき、母親がバスガイドさんに途中下車の許可をもらっていました。
すんなり了承してくれて、神奈川の小田原駅で下ろしてくれました。
なんて融通の利くバス会社なんだろうと、私は感心しました。
そのおかげで、目的の電車に乗ることができて、難なく熱海の温泉に着けました。
このことを今でも覚えているのは、これまでの間にいろんな人に話してきたからです。
旅行ってそのときだけが楽しいわけではないことを私は知りました。
旅行を大いに楽しんで良かったです。
いつもの勉強(英語や数学などの学科の勉強)は普段できます。
特別な時はそれを休止させ、特別な勉強をするのがおすすめです。
もちろん、いつでも学科の勉強をしたいというのなら止めませんが。
最後に、旅行に行かない場合は、いつもとは違う勉強もできますよ。
学校や塾以外の教材から学ぼうと試みるのです。
単調な学習生活から少し遠退くためにもやってみましょう。
単調さは脳が疲れ、怠惰な自分を作ってしまう恐れがありますから。
ユーチューブの動画、学習系ブログ、本など、いくらでも教材はあります。
学校や塾の先生以外から動画授業を閲覧することで何か発見があるでしょう。
ブログを回っていく中で、興味を惹く勉強法や体験談を読めることがあります。
中古本屋さんでは安価でお宝本が手に入るかもしれません。
とにかく、連休を利用していろいろと学ぶ範囲を広げてみましょうよ。
「はい」や「わかりました」が多い生徒
何か説明を受けて返事をしない生徒はあまりいませんが、私の経験上、空返事の疑いのある生徒は少なくありません。
とりあえず返事をしておけば先生の期限は損ねないだろうと考えているのでしょうか。
いい生徒ってどんな生徒なんでしょうか?
一般的には、先生を困らせない生徒ではないかと思います。
先生を困らせないように、あるいは、怒らせないように、生徒はとりあえず肯定的な返事しておこうとするのでしょう。
はっきり言って、これは生徒の利益にならないですね。
本当は「いいえ、まだよく分かっていません。」なのに真実を言えないのですから。
なぜこんな不自然な行動をとってしまうのでしょうか?
その原因はいくつか考えられます。
第一に、否定が悪いとされている風潮。
「いいえ、分かりません。」と言うと、雰囲気が悪くなるケースが多いです。
例えば、学校のような集団の場で、周りが皆「分かりました」という状況での「分からない」は、変な者扱いをされたりします。
全体主義の暗黙の了解のようなものがあり、自分だけ「分からない」と言いづらいのです。これはおかしい!
第二に、生徒が変なプライドを持っていること。
何でも分からなければ、プライドが傷つくとでも思っているのでしょうか。
また、クラスメートの前ではいい恰好をしたいのでしょうか。
そんなの自分のためにならないと気づいて、堂々と「分からない」と主張すれはいいのです。それを嘲笑う者などスルースルー。そんな低俗なことよりも、疑問をきちんと解消することに熱を入れればいいのです。
第三に、とりあえずの肯定的返事が癖になっていること。
これはまるでセンサーのような感じです。
相手の話に間ができるごとに、「はい、分かりました」が飛び出すんですから。
そして、たいていの場合、空返事になっています。
考えて返答しているわけではないのですから。
私は今までいろいろな生徒と接してきて、生徒が話を聞いているかどうかに注意を払って指導してきました。
空返事をする生徒は必ず改善させようと思っています。
また、「分からない」ことは質問や確認をするよう強く促しています。
では、具体的にどのように指導すれば空返事をしなくなるのか。
1つは、空返事の疑いがあると思った直後に、私が話したことを言わせます。
そのとき正しく言えたら空返事ではないことが証明されます。
逆に、黙ったままだったり、適当なことを言うようなら、空返事、そこまで酷くないにしても、話を正しくとらえていなかったことが証明されます。
改善の指導の中で、生徒の中にはこんな言い逃れをする者がいます。
「何と言ったらいいのか・・・言うのは難しいです。」なんて逃げようとします。
私は透かさず、「じゃあ、もう一度言うわな。」と再度機会を与えます。
そのときは真剣に耳を傾け、答えられる生徒は多いのです。
結局は話を聞くことが怠慢になっていただけなのです。
もう空返事をしないことと、分かるまで聞き返すことを求めます。
生徒がきちんと理解できてから次に進むこと、これが私の指導方針の1つです。
生徒が分かっている感じ、だとか、多分いけるだろうなんて嫌いです。
そんな適当な指導をしていると、生徒の学力が高まらないどころか、生徒が真似してしまうかもしれません。
目の前の相手はまるで鏡のような存在です。
指導者は常に生徒の模範でなければならないと肝に銘じています。
涙の数だけ強くなってほしい
♪「涙の数だけ強くなれるよ、アスファルトに咲く花のように」
Tomorrowのサビの歌詞ですね。
音楽の教科書に載るほど有名なので、知っている人は多いと思います。
私の経験上、この歌詞の通りなる生徒とそうでない生徒に分かれます。
涙を流した分、強く育っていく生徒と弱いままの生徒に分かれるということです。
塾講師としての私には厳格な面があります。
教え子が約束を破ったり、宿題を適当にやっていたり、忘れ物をしたり、必要なプリントを無くしたり、嘘やごまかしでその場をしのごうとしたり、話を聞いてなかったり、返事をしなかったりなどのことが習慣化しそうだと思ったとき、私は教え子に説教をします。
今の時代珍しく、私は厳しい指導をするのです。
そんなとき、涙する生徒がいます。
そして、そのタイプは2つに分かれます。
1つは、Tomorrowの歌詞の道を歩み始めるタイプです。
このタイプの生徒は、叱られたわけを覚えています。
「どうして自分はそれができなかったんだろうか?ここまで言われてつらいだけじゃなくて、それができなかった自分に腹が立つ。」なんて思っているかもしれません。
次の塾の回では、新たなスタートをきったような様子がうかがえます。
例えば、宿題の出来栄えを確認したら、字が整っているし、実際に正答数が以前よりも多かったりするのです。
その後、何かやらかしても、例えば忘れ物を2回連続したとしても説教にまで発展しなくなるのです。
生徒が賢くなったのでしょう。
私が説教をする前に何かしらのアクションを起こしたりするのです。
ある生徒は、「先生、〇〇をまた忘れてしまったので、明日持ってきてもいいですか?」なんて・・・。
涙の数だけ強くなった生徒は違います。
私の心内を変えるくらいの言葉を身につけているのですから。
そんなふうに言われると、説教なんてする気は起こりません。
逆に、しっかりした生徒になったものだと感心するくらいです。
もう1つは、Tomorrowの通りにならないタイプです。
このタイプの多くは、叱られた理由が分かっていません。
「ただ先生が怒っているから嫌だ!」と負の感情に支配されているだけです。
さらには、反抗的な態度をとる生徒もいます。
例えば、腕で目のところをずっと隠したままで動かなくなったり、話題を逸らして私の粗捜しを感情むき出しでしてきたり、など。
このタイプはそもそも何かを学ぼうだなんて思っていないでしょう。
ただ厳しくされたことが嫌だと思っているだけなのです。
挙句の果てには、有ること無いことを家に帰って言いまくったり。
生徒の成長のためにエネルギーを注いても逆効果だと私は悲しいです。
言い方がキツいと非難する人もいるでしょう。
しかし、最初は柔らかく言っているのですよ。
何度も同じことを言わせる状況になるから、喝を入れないといけなくなるのです。
それが嫌だと言うならできるよう頑張ればいいことです。
何かを手に入れたいと思うなら、それだけ痛みは伴うもの
英語では、No Pain, No Gainですね。
成績を上げたい、頭をよくしたいと願うなら、するべきことはきちんとしなければなりません。楽して成し遂げられるなんてことはありえません!
最後に、Tomorrowの歌詞のようになりたいと思ったなら当校で学ぶとメリットが大きいと思います。私が本気でほんまもんを教えるからです。
そうは思えない場合は、他をあたってください。当校はストレスになるだけだと思いますから。
教え子が人気バンドのメンバーに!
先日、15年前の教え子が電話をくれました。
ティークラム6期生のU君からでした。
声が全然違うかったので、名前を聞くまで誰だか全く分かりませんでした。
それもそのはず、U君が中学生の頃の声しか私は知らなかったのですから。
U君は中1の4月、当校に入会しました。
とても真剣な生徒でした。
そのため、成績はかなり優秀で180人中1桁番数(T中学校)をとるほどでした。
塾の英語のチェックテストでも、30回連続満点という快挙を成し遂げました。
勉強に真面目なだけでなく、冗談やパーティーなど楽しいことも好きで、よく笑顔を見せてくれていました。そんなU君ですから、クラスメートから人気がありました。(当時は1クラス6名)
ある日ショッキングな連絡が入りました。
U君が他県に引っ越さなければならなくなったのです。
本人とお母さんが挨拶にいらっしゃったときのことをよく覚えています。
お母さんは涙をこぼされていました。
引っ越しのために退会しなければならないことが残念だということで。
たかが個人塾なのにそこまで思っていただけて、私は幸せな気持ちでいっぱいでした。
本人とお別れのハグをして、何とか笑顔でお別れできました。
その年の夏休み、当校に顔を出してくれました。
何かのきっかけでこちらに来た時のことでした。
元クラスメートたちも呼んで、ちょっとしたパーティーをしました。
退会して数年間、U君とご両親から年賀状をいただきました。
写真付きだったり手書きだったりと、心のこもった年賀状でした。
当校を去って何年もの間、ここまで想ってもらえるだなんて思いもしませんでした。
塾の仕事って素晴らしいなと実感しました。
お金では得られない人の心の温かさに感動しました。
あれから10年以上の年月が流れ、U君との今回の通話。
あれからどうしていたのかを尋ねると・・・
「高校、大学までは当時の調子のまま行ったんですけど、その後人生の階段を踏み外しました。」だなんて言うんですよ。まあまあ明るめの声で!
そして、今何をやっているのかを聞くと、何と!?、バンドをやっているのだとか。
しかも、バンドだけで生計を立てられているというのです。
バンド名を聞くと、、、
ドラマストア。
私は音楽好きですが、最近のはあまり知らず、すぐにバンド名をググりました。
今、若者に人気のあるバンドだと知りました。
U君は上の画像のいちばん左の青年です。
少し面影が残っていますが、もう立派な大人ですね。
今やU君は垢抜けたミュージシャン!
芸能人という雲の上の存在に!
※今回ブログに添付したい写真使用についてU君に許可を求めました。すると、マネージャーに確認を取ってくれてOKもらえたとの返信をもらいました。しかも、迅速でした。今も昔も変わらず、きちんとしているなと感心しました。
こんなことってあるんですね。
学生時代に成績トップだった教え子が、まさかプロのミュージシャンになるだなんて。
全く想像できませんでした。
私の考えが古いのかもしれませんが、親御さんは反対したんじゃないかって思ったんです。しかし、ご両親ともに応援してくれているというじゃないですか!
これもまた驚きでした。
ドラマストア、U君はミスチルのようなポップス系バンドと言っていました。
実際に聴いてみると、ミスチルとは違った感じで今風を感じました。
ベースの音を耳にして「とても上手だね!」なんて言えるほどの耳を私は持っていませんが、ライブ映像から楽しいことに夢中になっている姿はよく覗えました。
これからもその調子で頑張ってほしいです。
陰ながら応援しています。
機会があれば、盃でも交わして懐古に浸りたいなと思います。